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つれづれなるままに日暮らし

長野県大鹿村の大断層「中央構造線」----山の自然学シリーズ

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構造線はどのようにして出来たか (日本列島の誕生)
平 朝彦 著 「日本列島の誕生」 岩波新書 の図を基に説明を加えた
 
 
1億3000万年前(白亜紀前半)


1億8000万年前(ジュラ期)にユーラシアプレートの東端に日本列島の上半分(大陸側)が出来た。

その後、1億3000万年前(白亜紀前半)に南方の揚子大陸の東端で日本列島の下半分(太平洋側)が生まれ、イザナギプレートに乗って日本列島へ移動し始めた。
   
 
7000万年前(白亜紀後半)


すでに出来ていた日本列島の上半分(大陸側)と、イザナギプレートに乗って来た下半分(太平洋側)がくっついて日本列島が出来た。上半分と下半分のつなぎ目が中央構造線である。

この時期には、日本海はまだない。
   
 
2500万年前(第3紀中新世)


大陸のへりが割れ始め、海溝帯が形成され、湖水群が出来た。これが日本海の元祖で、やがて日本海が拡大し始めた。
   
 
1450万年前(第3紀中新世)


日本海が拡大した。オホーツク海も拡大し、千島弧が出来始めた。1500万年前になると日本海の拡大は完了した。

このとき、西南日本は時計方向に回転し、東北日本は反時計方向に回転したので、日本列島の折れ曲がるところが陥没した。これがフォッサマグナラテン語で「大きな溝」の意)である。フォッサマグナの西端は糸魚川-静岡構造線である。
   
 
800万年前(第3紀中新世)

東北日本が隆起し始め、カルデラの活動が盛んになった。

千島弧の前部が北海道へ衝突し日高山脈を隆起させた。まだ東北日本は水没していた。

500万年前になると、伊豆・小笠原弧の前部が本州へ衝突し伊豆半島を作った。
   
 
1万8000年前
(第4紀更新世・最終氷河期)


氷河期のため海水面は現在よりも120mほど低下したため、日本と大陸は陸続きとなり、日本海は閉鎖された。

その後、氷河期の終了とともに海面が上昇し、日本は大陸から離れ、現在の形となった。