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つれづれなるままに日暮らし

北海道礼文町船泊遺跡

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2018.12.21読売新聞 日本人のルーツ    イヌイットの女性 現生人類の世界への拡散
(図の説明:左図は、北海道礼文町船泊遺跡で発掘された縄文女性の臼歯に残っていたDNAから復元された顔で、現在の日本人にもよく見かける顔だ。その日本人は、左から2番目の図のように、3000年以上前に渡来した縄文人と3000年前以降に渡来した弥生人に分けることができるが、渡来は何度も起こっており単純ではない。しかし、縄文人アイヌ人が先住民であることは確かで、右から2番目の現在のイヌイット人女性の顔と似ている。なお、右図のように、現生人類の共通祖先は20万年前にアフリカで誕生し、他の人類と混血しながら世界に広がったことがわかっているが、今後の研究には法医学等の医学分野の貢献も期待される)
(1)人類の本能と文化
1)DNAから科学的に人類史を紐解くことができるようになった生命科学の革命
 中学・高校で「縄文人」「弥生人」などと使用した土器による分類を教わった時には、「納得できない」「歴史は暗記科目だ」と感じたが、現在ではDNA解析・比較文化・行動学などから科学的に現生人類であるホモサピエンスの発生と移動経路をトレースできるようになり、これは画期的なことだ。また、どの民族にも現生人類の移動経路は興味深く、移動経路が判明すれば人種差別や戦争を収束させる力にもなるだろう(http://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/087/research/1.html 生命誌ジャーナル参照)。
 そのような中、*1-1のように、遺伝子を高速で読み取る装置を使って、1998年に日本列島北端の北海道礼文町船泊遺跡で発掘された縄文人の臼歯内DNAの遺伝情報(ゲノム)の99%を解読することに成功し、約3800年前の縄文人女性の顔が再現された。特徴は、「シミの目立つ濃い肌の色」「細く縮れた髪」「血液型はA型」「湿り気のある耳あか」「酒に強い」「脂肪の多いアシカなどを狩猟していた船泊の縄文人は、極端な高脂肪食でも健康を保てるよう適応した可能性が高い」などで、その顔は現在の日本でもよく見かける女性だ。
 この脂肪を分解しやすい遺伝子変異は、*1-2のように、北極圏に住むイヌイット等の7割で見つかるが、狩猟をしなくなった現在の日本人にはほとんど見られない。しかし、この遺伝子によって作られる酵素は、また高脂肪食になった日本人の高脂血症の解決に役立ちそうである。
 このような現生人類の移動経路や混血状況を調べるには、古代の日本人だけでなく現在の日本人・近隣や世界の人々の遺伝情報を比較する必要があり、それは既に始まっている。これに加えて、食物・農耕・言語・文字・宗教などの文化を比較すれば強力な裏付けになるわけだ。
 なお、古代人のDNA解析は、2010年に目覚ましい成果が相次ぎ、ドイツなどの研究チームがネアンデルタール人と現生人類との間に混血があったことを証明した。また、南シベリアのデニソワ洞穴で見つかった「デニソワ人」は、現在のパプアニューギニア人にDNAの一部を残しており、東アジア全体で暮らしていたとのことである。
2)差別に見られる意識の低さ
ア)部落差別について
 日本維新の会が今夏の参院選比例代表公認候補に決定していたフリーアナウンサーの長谷川氏が、*1-3のように、江戸時代に士農工商の下にあった穢多・非人に言及し、無知と偏見に基づく差別発言を行ったそうだ。
 しかし、非差別部落は士農工商の厳しい身分制度の下で、農工商の民衆を統治するために、さらに下の身分を作って「上を見るな、下を見ろ」と言って不満のはけ口とし、為政者が民衆を分断したのだということは日本史で勉強済である。また、2016年には部落差別解消推進法が成立しているため、今でもそれを繰り返しているのは、無知で情けない人たちだ。
 なお、人権意識の高まりによって、反差別のテーマが在日外国人・女性・障害者などへと裾野を広げたのはよいことだが、差別を助長するインターネット上の書き込みが多いのは何とかすべきである。
イ)高齢者差別について
 ざっくり言うと、人類を含む哺乳類は、食物が不足するなどの親の生存も危うい場合を除いて、子が生まれるといとしく感じて授乳し、子を護る本能がある。また、そういう本能を持たない個体のDNAは、子孫を残せないため残っていない。
 一方、親を大切にする本能は、種の保存に不可欠ではないので組み込まれておらず、人類は「親孝行」という言葉や文化を作って道徳として大切にしてきた。それが「親孝行」という言葉があっても、「子孝行」という言葉がない理由だと言われている。
 このような中、最近は、*1-4のように、若者と高齢者を対立軸として分断し、どちらに社会保障を振り向けるかという論調を政治家・行政・メディアが氾濫させており、一般人にもそうことを言う人が増えた。しかし、これは、これまで政府がサボってきた社会保障財源の引当不足という失政を、国民を若者と高齢者に分断して対立させることによってごまかす手段のお先棒をメディアが担ぎ、賢明でない国民が騙されているいつか見た光景である。
 さらに、*1-4は、「①投票者の4割を占める高齢者の意見が反映されやすいシルバー民主主義はよくない」「②社会保障給付は医療・年金・介護が約9割を占め、対象は主に高齢者」「③少子高齢化が進み、若い世代ほど給付より負担が重い」「④高齢者に給付の抑制や負担を求める案が現実的だが、当事者は受け入れがたい」「⑤『頑張って保険料を納付してきたのに、年金を減らされることは認められない』という高齢者は、冷静でなく感情的だ」としている。
 しかし、①の「高齢者割合が高まる」というのは、平均寿命から見て高齢者とされる年齢が低すぎるし、全体の傾向は人口構造を見ればずっと前からわかっていたことで、その人たちが働き盛りの間に納付した保険料を発生主義で引当てず、関係のないところに無駄遣いしていたのは、完全に政府の失政であり高齢者の責任ではない。さらに、シルバー民主主義は問題などとして、年齢で票の重みを変えるなどという発想は、民主主義を理解していないことが明らかだ。
 なお、「投票率は若者が低く、高齢者が高い」のは、これから働いて稼ぐことが可能な若者が政治に頼らず働くことに専念するのは自然であり、高齢者は選挙権を大切にしていると同時に、高齢になるほど既に保険料を支払っており、やり直しがきかないため、政治への依存度が高くなるからだ。また、日本のTV番組がぼやっとして普段から政治の論点を適格に議論して伝えていないのは、有権者全体が政治に無関心になるのを促進している。
 私自身は、自分の知識と経験から、子育て支援や教育無償化を一生懸命に進めてきたが、だからといって、②③④⑤のように、その財源は高齢者の社会保障分から分捕ればよいという本能丸出しで文化を捨てたような発想はしたことがない(マニフェスト・プロフィール参照)。
ウ)外国人差別について
 このような中、*1-5のように、2019年4月1日から本格的な外国人労働者の受け入れが始まったが、差別・暴言・冤罪の押し付けはなくなるだろうか。女性もまた、外国人同様、そのことを理由に、誹謗中傷や侮辱をされるなどの差別的対応を受けることが多いが、日本社会を支えている人に対する前近代的で不合理な価値観の押し付けは早々にやめるべきである。
(2)日本史の真実は・・
1)卑弥呼の里、佐賀県吉野ヶ里町と神崎市
 当時の文字による歴史記録である魏志倭人伝によると、*2-3のように、倭国は、末盧國、伊都国、奴国など玄界灘湾岸の国であることは明らかで、その南にあるとされる邪馬台国の位置は、中国の専門家が指摘するとおり、音と方角に注目すればよい。そのため、「日の国」邪馬台国は、九州の肥前と肥後の間、つまり*2-1の吉野ケ里遺跡の場所になると思われる。
 従って、女王に従わない邪馬台国の南にある狗奴国は、球磨国(熊本県)の聞き違いであると思われ、邪馬台国から水行20日とされる投馬国(とうまこく:所在地不明)は、投与国(とよこく)の読み違いで、それなら豊前と豊後のある大分県になる。
 なお、大分県宇佐市には宇佐神宮があり、それは八幡宮の総本社で古くから皇室の崇敬を受けており、主祭神神功皇后応神天皇宗像三女神だ。また、大分県臼杵市は石仏で有名だ。また、何故なくなったのかは不明だが、『日本書紀』の神功紀に引用される『晋起居注』に、泰初2年(266年)に倭の女王の使者が朝貢したとの記述があり、現存する『晋書』武帝紀と四夷伝には、266年に倭人朝貢したことは書かれているが、女王という記述は無いとのことである。
 そのため、卑弥呼の宗女とされる13歳の女王壹與(トヨ)は、投与国(大分県)の人で神功皇后だと考えられる。その後、日本書紀に書かれているとおり、応神天皇(=神武天皇と言われている)が東遷して大阪・奈良付近に都を作り、大和朝廷になったのだろう。
 *2-2には、「卑弥呼の死と壹與の王位継承は、それ程年月が経っていない」と書かれているが、その間に「倭国大乱」があったため、ある程度の時間はあったと思われる。そのため、今後の真実の追及には、遺伝子調査、まっすぐな視線での日本書紀や神社伝承などの再解読、中国史や中国の専門家による意図的でない裏付けが必要だ。
 また、*2-4のように、「百舌鳥・古市古墳群」の仁徳天皇陵古墳(大山古墳、堺市)などを日本政府がユネスコ世界遺産委員会に推薦し、6月に世界遺産への登録が決まるそうだが、この「仁徳天皇陵」をしっかり調査すれば古代史の真実がさらに明らかになると言われている。しかし、日本の考古学の専門家は未だにあまり調査していないのだ。