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つれづれなるままに日暮らし

3.5万年前⇨D1b 、チベットから東進し、定住型採集狩猟民/後期旧石器時代人⇨縄文人の主流/35~40%

4.D(第三世代)➡6.5万年前、ユーラシアン・アダムCTが、CFとDEに分離し、およそ6万年前に、おそらくはアフリカ北東部で、DEはDとEに分離した。このうち、Dは、出アフリカを果たし、東アジアへ向かった。
最も古い未分化のDは、スマトラ島北西にあるアンダマン諸島(インド)の先住狩猟民の二つの部族に、100%の頻度で存在する。ただし、現在、その人口は減少しつづけており、両部族合わせて400名ほどしかいない。ごく希少種である。小柄で黒い肌で、彫りが深い顔立ちをしており、二重瞼で黒い縮毛である。
Dから5.2万年前に派生したD1aは、寒冷な高緯度での生活により、肌が黒色から黄色になったと考えられている。現在、D1aは、チベット人に、50%(250万人)存在する。その他の地域には、ほとんど見られない。
さらに、D1aから4万年前に分離し派生したD1bは、現在、世界の中で、ほぼ日本でのみ見られる。日本人に35~40%(2100~2400万人)存在するが、特にアイヌ人に88%、沖縄では45~55%存在するため、D1bは縄文遺伝子と呼ばれる。
このD系統は、広範囲に移動したC系統とは異なり、南北アメリカ大陸やオセアニア州には、まったく見られない。また、ユーラシア大陸では、チベットにしか存在しない。そして、現在、D系統の世界最大の集積地は、日本(90%)である。
Dの東進経路としては、北アフリカ西アジア⇨インド⇨チベット⇨中国⇨日本という内陸経路が正しいように思われる。ただし、現在、アフリカ、西アジア、インド、中国に、Dはまったく存在しないため、痕跡は辿れない。A、Bに次いで希少な古代遺伝子と言える。〔A⇨CT⇨DE⇨D〕

3.5万年前⇨D1b
(定住型採集狩猟民/後期旧石器時代人⇨縄文人の主流/35~40%)
チベットから東進し、ナイフ型石器文化を伴って、華北から北方経由で移動して日本に定住をはじめる。

チベットから東進し、華北から北方経由で移動して日本 

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ヒマラヤ山脈の北側に広がる、平均海抜4,500mの「チベット高原」そのほとんどが、かつてラサを都とする独立国「チベット

から華北 

華北北京市、河北省、山西省天津市内モンゴル自治区(内蒙古))