新宿東口駅前のフーテンの新名所グリーンハウス
木島則夫ハプニングショー. 1968年5月18日-10月12日放送。毎週土曜22時30分-23 時30分。放送回数22回。報道・芸能・社会教養の3部門から集まって制作に取り組み、「 常に生放送」「台本は作らない」をモットーに、ぶっつけ本番のカメラがとらえた素材を ...
1968年5月18日-10月12日放送。毎週土曜22時30分-23時30分。放送回数22回。報道・芸能・社会教養の3部門から集まって制作に取り組み、「常に生放送」「台本は作らない」をモットーに、ぶっつけ本番のカメラがとらえた素材を司会者が料理し、それをまたカメラが追うという型破りな番組。司会はモーニングショーを降板した木島則夫。
- 第1回夜の新宿からの中継の模様が「NHK×日テレ60番勝負」で放送された。家庭用モノクロVTRで保存。
2016/07/08 - そして、最後は1968年、日本テレビで放送された「木島則夫ハプニングショー」第1回放送から一部分15分ほど。この番組は当日、新聞広告で「今夜10時半に新宿コマ劇場前で生放送番組をやる」と告知し、実際の放送時には集まった若者の大 ...
1968年 △ / ▽. 5月18日 日本テレビ 木島則夫ハプニングショー, 道徳意識. 初回放送のテーマは『若者がたむろする新宿』という ... 2013年2月2日に放送された日本テレビとNHKのコラボ番組『TV60 NHK×日テレ 60番勝負』のハプニング映像対決にて1部のみ ...
- 5月
- 18日 - 日本テレビ系で木島則夫(元NHKアナウンサー)司会のワイドショー『木島則夫ハプニングショー』開始( - 10月12日)。
第1回でのエピソード
第1回は、当時アングラ劇場が流行し、ヒッピー・フーテン族がたむろする「新宿」をテーマに、新宿コマ劇場前に若者たちを集め、彼らと司会者のティーチ・インをもくろんだ。ところが、5000人を超える若者たちが集まり、コマ劇前は身動き出来ない大騒ぎと化し、司会者は発言を要求する若者たちに押され、近くの喫茶店へ逃げ込まざるを得なくなる。やがて開始20分後には、これを知った警視庁の第4機動隊が駆けつけ、警戒に当たった。もちろん、ライトを消して番組を中止すれば騒動は収まるわけだが、スタッフは、何が起ころうとあくまで写そうという姿勢を貫いた。
そして翌日の新聞は、社会面でこの騒ぎを報道し、「ハプニング」という言葉は当時の流行語となった[2]。
後年、この回の映像の一部が『NHK×日テレ 60番勝負』にて放送された。
約53年前