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つれづれなるままに日暮らし

この列島の国号について @ 江部遊観のブログ

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「倭」
魏志倭人伝、その他中国の文献にある。
「ヤマト」
奈良盆地東南部の初期古墳群を構成した三輪山周辺、大和川周辺を支配していた天武勢力が中央集権体制を確立し、「ヤマト朝廷」という呼称を使用したという説がある。日本書紀古事記には大和の漢字表記はなく、8世紀中葉の養老令が初出らしい。
ヤマトは大和川という川の名称からきている可能性があり、国号ではない。千葉県出身の野田総理、大和出身の天武(大海人皇子)という感じだろう。
ヤマトは地名からの固有名詞だが、それがそのまま名称として以後踏襲されたのかもしれない。
「日本」
日本国の国号はそのヤマトの豪族、壬申の乱に勝利した反乱軍である大海人皇子(天武)が「倭国」から「日本国」に国名を変えたときであった。それが7世紀末、673年から701の間のことであり、おそらくは681年、天武朝で編纂が開始され、天武の死後、持統朝の689年に施行された飛鳥浄御原令で、天皇の称号とともに、日本という国号が定められたのだろう。」(「日本」とは何か・講談社網野善彦著から)