米軍管轄下のスガモプリズン に移動 - 後述するように、スガモプリズンはその後取り壊されて、跡地はサンシャインシティと東池袋中央公園になった。この再開発を手掛けた新都市開発センター(現:サンシャインシティ)により、この13号扉は法務省に寄付 ...
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現在の東池袋にあった「東京拘置所」は戦後「GHQ」に接収され「巣鴨プリズン」となった。その跡地には「副都心」の再開発の一つとして「サンシャインシティ」が着工、主要施設である「サンシャイン60」は当時アジアで最も高いビルだった。
ETV特集「昭和天皇は何を語ったのか~初公開“拝謁記”に迫る~」
話題の昭和天皇「拝謁記」。89分拡大版。
占領期の昭和天皇の発言を記録した一級資料が発見された。
初代宮内庁長官・田島道治に何を語ったのか—象徴天皇の出発点に迫る。
占領の時代、昭和天皇のそばにあった田島道治の新資料「拝謁記」が公開された。
1949(昭和24)年から、昭和天皇の言葉が克明に記されていた。
注目されるのが戦争責任と退位の可能性だ。敗戦の道義的責任を感じていた昭和天皇は、当初退位も考えていた。
さらに1952年の独立記念式典の「おことば」で戦争への反省を述べようとする。しかし、最終的に戦争の経緯は削除された。なぜか—。天皇と長官の対話を忠実に再現する。