altgolddesu’s blog

つれづれなるままに日暮らし

芸能発祥の地 JR・近鉄桜井駅

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芸能発祥の地/桜井市ホームページ
www.city.sakurai.lg.jp/kanko/hajimarinomachisakurai/1394261977553.html
芸能発祥の地. 当時行われていた伎楽の様子. JR・近鉄桜井駅から南へ、約700〜800メートルほどにある桜井小学校の西側にある小高い丘は「土舞台」と呼ばれています。

その昔、聖徳太子が摂政のときのことです。日本に帰化した百済(今の韓国)から味摩之(みまし)が「呉(今の中国)で伎楽を学びました。」と太子に言いました。そこで太子は子どもたちを集め、この土舞台にて伎楽を習わせたと伝えられています。主に仏教行事に演じられましたが、外国の使節におもてなしをするときにも演じられていました。当時の「 ...

味摩之(みまし)とは - コトバンク
https://kotobank.jp/word/味摩之-139434
味摩之みまし. 生没年不詳。伎楽(ぎがく)を日本に伝えた百済(くだら)からの帰化人。『日本書紀』によると、推古(すいこ)天皇の20年(612)帰化した味摩之は、呉(くれ)の国に学んで伎楽 (くれのうたまい)を習得していたので、朝廷は大和(やまと)(奈良県)の桜井に味摩之を居住させて、少年たちを集め伎楽を伝習せしめたとある。その門下に真野首弟子(まののおびとでし)、新漢済文(いまきのあやひとさいもん)の2人があり、伎楽を後世に伝承したといわれる。なお、旧法隆寺献納御物伎楽面は味摩之将来のものと伝わる。

伎楽(ぎがく)とは - コトバンク
https://kotobank.jp/word/伎楽-50020
日本最古の外来芸能で,笛,三鼓(くれのつづみ。→鼓),銅拍子(どびょうし。→銅鈸)の伴奏で野外で行なわれた仮面劇。古くは「くれのうたまい」といい,「伎楽舞」「呉楽」とも記した。『日本書紀』には,推古20(612)年に百済の渡来人である味摩之が,呉で学んだ伎楽を大和国の桜井で少年を集めて習わせたとある。伎楽面に胡人型(こひとがた。アーリア人型)の特徴が著しいことや,登場人物の名にインド的なものがあることなどから,インドを含む西域一帯が源流と考えられている。伎楽は大宝令(→大宝律令)には朝廷 ...

発祥の地コレクション/伎楽伝来の地
hamadayori.com/hass-col/art0/Gigaku.html
伎楽の伝来に関して,日本書紀によれば 西暦612(推古20)年に 百済味摩之(みまし)が伝えたとされる。味摩之は日本に帰化して奈良・桜井に住まい 若者を集めて伎楽を習わせたという。 太平洋戦争後,桜井市出身の評論家・保田與重郎は,味摩之が伎楽を教習させた場所を考証し 桜井小学校の校庭の南側にある土舞台が伎楽教習所だったとし,1972(昭和47)年に「土舞台」と刻した標石を建てた。これ以来伎楽伝来の地は土舞台である とされてきた。 ところが,韓国・世宗大学の李応寿教授は,聖徳太子が築いたと ...