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水内神社

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あれこれ南宜堂 (h.p) : 善光寺は水内神社であったのか

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16 一遍と善光寺

坂井衡平は善光寺の創建年代をどのように推定したか

  • 坂井衡平(明治一九年伊那〜昭和一一年)『善光寺史』

智善上人信州善光寺の本尊が出現した霊地として寺院を建立、蓮池山智善院和光寺と称した。1698年(元禄11年)堀江新地開発のとき、江戸幕府の命令で境内地を1800坪とし、また永代寺地と定めた。

智善上人は大和国郡山(奈良県大和郡山市)の柳沢家の出身で、信州善光寺大本願第113世の光蓮社心誉智善上人であり、1727年(享保12年)7月21日に没した。

阿弥陀如来

    • 第一段階は奈良時代の初め。この頃に善光寺如来が奈良でつくられました。そしてこの仏は都の大きな寺にまつられたのではないかと坂井は推測しています。
    • 第二段階はこの如来が地方の有力者の手によって信濃の国に運ばれ、それをまつるための寺が建立された時代です。この時代とはおよそ天平の末から勝宝の頃ではないかといいます。
    • 欽明天皇一三年(五五二)に百済から渡来した阿弥陀三尊善光寺如来であるという段は、善光寺仏の形状から見て内地仏であるとして否定しています。しかし、奈良時代に信州には仏像をつくる技術を持った仏師がいたとは考えられないことから、善光寺如来が作られた場所は都であるとしました。その仏像が、信濃の有力な豪族の強い希望により、信濃に運ばれたものであろうと推測しています。
        • 阿弥陀三尊全体の背後を大きな1枚の舟形光背 「一光三尊」
      • 第29代 欽明天皇|年表マニア 509 〜 571.5.24 62歳
    • 信州における仏教の展開とか如来の姿から天平の末から勝宝の頃の作 (749年から757年までの期間)
    • 制作年代について、縁起と坂井の説はだいぶ開きがありますが、信州における仏教の展開とか如来の姿から天平の末から勝宝の頃の作とした

釈日本紀」 (*)

長野県信濃美術館 東山魁夷東山魁夷*

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