豊臣時代の大阪城の詳細な資料は、徳川の時代に意図的に破却されて
本丸図以外は残っていませんが面積は現在の城の4倍の大きさと推定されます
- 〔PDF〕大阪城とその周辺の 移り変わり - 大阪経済大学
- 夏の陣:元和元(一六一五)年
- 冬の陣:
明応5年(1496)、本願寺8世法主蓮如が山科本願寺の別院として大坂御坊を建立し、これが石山本願寺の起源となった。その経緯を述べた蓮如の御文章は「大坂」という地名が見られる最初の文献である。
天文元年(1532)、山科本願寺が戦国の争乱に巻き込まれて焼き討ちに合い、逃れた十世証如らは、翌年大坂御坊を本願寺とした。この石山本願寺は、堀・塀・土塁などをもうけて武装を固め、戦国武将細川晴元らの攻撃に備えたため、次第に難攻不落の城砦として強化された。また、次第に寺内町も発展し、11世顕如(けんにょ)の代に本願寺隆盛の絶頂期を迎えた。