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つれづれなるままに日暮らし

Ⅴ--1. 山陽道に沿って長岡(岡山市東岡山)から森下へ

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写真 牟佐の常夜灯(街道) むさ 岡山市(北区) <倉敷往来?> 石常夜灯(花崗岩 高2.25m 寛政11(1799)   歴史の道6p45 県道際の駐車場内に移設? 倉敷往来の定型的な常夜灯 2
写真 牟佐の常夜灯(渡し場) むさ 岡山市(北区) <倉敷往来>/旭川 石常夜灯(花崗岩
(渡し場)
  寛政11(1799)   歴史の道6p45 移設/火袋は復元 牟佐の渡し場 2

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旭川沿いで古代山陽道「むさの渡し」があった所。 @ 岡山市北区牟佐

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むた=むさ?
 
さて、これと「むさ」は関連するのだろうか。
「むさ」も地形由来だろうか。
奈良の「むさ」はどうだろう。
縄文時代奈良盆地は湖だったというから、湿地。
岡山の「むさ」はというと、同じく、
縄文時代には岡山平野は「吉備の穴海」だったから、湿地。
 
弥生時代に稲作が盛んになり湿地が水田となり、そこに村ができた。
むさ=むた=むら、そういうことだろうか? 
牟佐大塚古墳、6C末
 
旭川沿いで古代山陽道「むさの渡し」があった所。
西に旭川旭川対岸に宗谷山、北には高倉山、南に竜の口山
 
直径40m、高さ10mを上回る大型の円墳で、墳丘の中心部分に全長18m、最大幅2.8m、最大高3.2mを計る横穴式石室が南向きに設けられている。
 
石室の規模の巨大さから巨石墳と呼ばれ、出土物が不明だが六世紀末の築造と推定される。巨石は花崗岩
 
石室の奥には家形石棺が安置してあり、石材は備中南西部(井原市)産出の貝殻凝灰岩「浪形石」。
 
被葬者は不明。交通の要衝だから吉備国造ランクの人、吉備上道氏など。
 
地名の「牟佐」は大和高市郡牟佐坐神社から来た身狭村主に由来するという説があるが、その根拠は不明。

岡山市北区牟佐

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牟佐大塚古墳 全国第6位の石室をもつ吉備三大巨石墳の一つ 円墳。石室は全長約18mと巨大である。玄室(※)は全長約6m、幅約2.8mで、全国有数の規模。貝殻石灰岩を用いた家形石棺を安置。墳丘は後世の掘削で旧状をとどめない。※玄室:横穴式石室の主要部で、棺を納める。 

 

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