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つれづれなるままに日暮らし

2020年4月16日改訂のISOGGの系統樹(ver.15.58)

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概略

ハプログループD1a2(D-M55)は、日本列島で観察される。日本人の約32%[4]~39%[5]にみられ、沖縄奄美大島では過半数を占める。アイヌの80%以上[6]もこれに属する。ハプログループD1a2は、日本で誕生してから3.8-3.7万年ほど経過していると考えられている[7]

東アジアの他地域ではD1a2の姉妹型D1a1チベット人の最大49%、ヤオ族の30%観察され、もう一つの姉妹型D1a3はアンダマン諸島南部(オンゲ族ジャラワ族)でサンプル数は少ないものの100%[8][9]を占める。さらにD1aの姉妹型のD1bが台湾フィリピンマクタン島で見つかっている。その他、詳細な系統は不明だが、ハプログループD1に属するタイプはマリアナ諸島グアム島で島民の17%にみられる[10]。なお、D1a2系統とこれらの他のハプログループDのサブクレードとは概ね4万年以上の隔絶があり、他のハプログループと比べてサブクレード間でも近縁とは言えず、親グループ間並の時間的距離がある。

歴史

日本へ至るまで

現生人類(ホモ・サピエンス)の誕生後、Y染色体アダムからハプログループAハプログループBの系統と、いわゆるユーラシアン・アダムの子孫たちを含むグループとに人類は分化していった。後者の中から一塩基多型の変異(いわゆるYAPと言われる痕跡)が、約6.5万年前頃にアフリカ大陸の北東部(現在のスーダンからエチオピア高原の辺り)において生じた。これがハプログループDとハプログループEの親グループである、ハプログループDEである。さらにその子系統であるハプログループDは、アフリカにおいて既に発生していたと考えられる[11]。ハプログループDの子系統のうち、ハプログループD2はアフリカに留まり、ハプログループD1が出アフリカを果たした。

ハプログループD1[12]は、ハプログループCFとともに、現在アフリカの角と呼ばれる地域から、ホモ・サピエンスとしては初めて紅海を渡ってアフリカ大陸を脱出した。アラビア半島の南端から海岸沿いに東北に進みイラン付近に至った。さらにイラン付近からアルタイ山脈付近に北上したと推定される。

ハプログループD1のうち、東進して日本列島に至り誕生したのがハプログループD1a2であり、アルタイ-チベット付近にとどまったグループから誕生した系統がチベット人に高頻度のハプログループD1a1である[13]アリゾナ大学のマイケル・F・ハマーは「縄文人祖先は約5万年前には中央アジアにいた集団であり、彼らが東進を続けた結果、約3万年前に北方オホーツクルートで北海道に到着し、日本列島でD1a2が誕生した」とする説を唱えた[14]崎谷満はハプログループD1が華北を経由し九州北部に到達し、日本列島でD1a2が誕生したとしている[15]

日本到達以降

当時無人日本列島に到達したハプログループD1a系統は、海洋資源に恵まれ、温暖であったため日本で繁栄した。中国大陸から弥生人日本列島にやってくるまでの約3万5,000年間に、日本列島においてハプログループD1aの中からハプログループD1a2が誕生したと考えられる。彼らは縄文人としてのちにはO系統などの弥生人と融合し、陸稲を栽培していたと考えられる。 

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